じやんと白パンダ(cb190ss)のバイクブログ

初心者60代三河ライダーの成長のコメディ

🏍️長篠の戦い 合戦場体感ツーリング106

( ♪推奨BGM:角田信朗さんで『 よっしゃあ漢唄 』 )


おはようございます。もしくは、こんにちは。もしくは、こんばんは。



今回106は、地元奥三河 新城市の『 長篠の戦い 』の合戦場に行きます。




織田信長と徳川家康の連合軍と、武田勝頼軍が正面からぶつかり合った合戦場。


行きたかった場所です。



よし!今日は久々の晴れ。

行くぜ!白パンダ( cb190ss )!




🏍️ブーーーン




設楽原歴史資料館 到着。


今日の最高気温17℃。

防寒対策バッチリで来たので、暑いまであります。


『 気持ちいい~✨』


ヘルメットのシールドを少し開けて風を誘い、季節の移り変わりを感じながら、走って来ました。


歴史資料館へ入って行きましょう。

この戦の下調べは、充分したつもりです。


いくつもの甲冑のお出迎えに少し興奮して、館内を進むと、絵巻と大量の火縄銃。


鉄砲隊が柵の前に居ます。


織田信長がこの戦いの為に集めた、火縄銃は3,000丁とも10,000丁とも言われ、刀・槍・弓から、戦い方が大きく変わって行く時代を感じます。


織田信長は、大量の人と武器、更には自分の首を晒した本気の戦です。


織田信長も徳川家康も、全戦全勝ではありません。


敗戦から学んだ事も、

いや、敗戦したからこそ学んだ事の方が多かったのでしょう。


馬防策や虚実を絡めた戦術が功を奏し、織田徳川連合軍が武田軍を退け、勝利します。


ネタばれじゃないですよ。

史実です。




🙋じやんは、いてもたってもいられず、合戦場へ向かいます。




🏍️ブーーーン




長篠・設楽原合戦場 到着。


再現された馬防柵。

風林火山を旗印にする武田軍15,000は、最強の騎馬隊を有し、名だたる武将が対峙します。


丘の上に陣取った武田軍から見ると、連合軍との間に、小川が有り、登り坂になっています。


田んぼは前日までの雨で、1度入ったら動きが遅く、数本の細い道を進むしかありません。


戦で下から上に攻撃するって、理由が無ければしないんですよ。


信長が出兵したと聞き、対峙しますが、いきなりこの構図になった訳ではなく、長篠城を攻めている時に信長が来たとして、対峙したのです。


しかも、大きく迂回した家康軍の武将が武田軍の砦を奇襲。

長篠城も守り、武田軍を追い返しています。


挟まれる形になった武田軍。


完全に『 信長の作戦 』が当たりました。




『 前に進まぬ戦に勝ちは無し 』


武田軍は、前に進みます。




柵の前で待ち構える鉄砲隊。


武田軍が襲いかかると、細い隙間から柵の中に逃げ込み、正面突破を誘います。




騎馬隊は馬防柵の横から攻めたのでしょうが、織田信長と徳川家康の連合軍は合計38,000。


しかも、織田信長も徳川家康もここから一山越えた先に陣取っています。


二人はここに居ません。




こんな事を想像しながら、合戦場の中に立って見ると、襲いかかる声・火薬の弾ける音・馬の嘶き…色々な音が聞こえて来る様な気がします。




諸説あって、当時の書物等から知られる事実は少なく、上に書いた事は只の妄想かも知れませんが、「 もし、雨が降って、火縄銃が機能しなかったら、この戦はどうなっていたのだろう?」と、両方の立場から推測してしまいました。





次に、徳川家康が陣取った場所に行って見ます。

やはり、高台に陣取った様です。

この戦は、家康にも届かなかった。


馬防柵からここまでの間に38,000人が犇めいていたのでしょうね。






お昼ごはんを取るのも忘れて、合戦場で浸っていました。


『 …腹へった。』




🏍️ブーーーン




『 道の駅 もっくる新城 』到着。


ベーコンドックを注文。


「 美味しい。おすすめです。」




『 古戦場、来て良かった。』

古の戦に想いを馳せた時間は、とても貴重な1日にしてくれました。


これから桜の季節。

🙋じやんはもう来てしまいましたが、桜開花の時期に来ることをお奨めします。






本日の走行距離 138.3km






今回106は、長篠の戦いの合戦場に来ました。


色々と調べて行くうちに、どうしても合戦場に行きたくなったのです。

行ってみて『 本当に良かった。』

平和な時代に生まれて『 本当に良かった。』


次回107も🙋宜しくお願いします。

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